当町は発祥の地と言われる「穴田」の時代も、犬上川氾濫による災害に苦しみ続けて来て、現在の地に移って来た、これが一番の理由だと語り継がれているのだが、さて折角移って来たこの地も、犬上川を枕にして寝ている恰好の土地でやはり大雨が降ると、堤防の決潰におののく恐怖の歴
史であった。
だから我が郷土は、この危惧から逃れられない宿命を背負って来ており、「二尊佛」「お丸の人柱」などの伝説は、悲痛な訴えの証である。
昭和二十八年十三号台風の被害を受けてから以降、開出今町内会は九月二十五日を「災害の日」と定め毎年この日菅原神社において町主催の災害祈願祭を執行している。
昭和五十四年、県は六十数億円の予算を計上して、犬上川 抜本的な改修工事に入った。しかし何分大工事なので、完成までには仲々時日を要するらしく、地元としては一日も早い完工を待ちわびている。
平成十七年から
災害祈願祭を防災祈願祭に変更しています。