開出今移民物語  渡航者の寄付まとめ

 

開出今移民百年を通じての寄付行為と、郷里に与えた影響を展開してくると、明治の中葉から大正年間では開出今の海外進出は最盛期を迎えていたのが、昭和に入ると段々下降線を辿った事実を読みとることが出来る。

 明治二十二年東海道線の開通は成ったが、近隣の駅・河瀬駅の新設は九年後の明治三十一年に漸く実現したような情勢下では、都会への転進も思いのままにならなかったのである。濡れ手に粟の金儲けの唯一の方法は、移民より外になかったが、世の中が進むにつれてアメリカ一辺倒でなくとも、内地でその目的が達せられる時代に変って来たのが、事実で証明されている。

 単身海を渡って働き、金をためて結婚のために一時帰国し、妻と共に再び渡航する。共稼ぎの辛苦の数年を経て、故郷の土を踏んで古びた家屋改築の初心を貫き立派に新築を果たして親にも孝行をする。今度は余生を送るための一働きにと子供を老父母に託して再渡航を計り、そして有終の美を飾ったのが「出稼ぎ移民」のパターンであった。

 今日の開出今の家並みの見事さの基礎は、この繰り返しの成果であったのである。