古い開出今の話   南青柳橋

 

巡礼街道の犬上川に架かる南青柳橋については、明治以来数回架け変わっている。集中豪雨で増水するたびに、橋脚が洗われて流出したものである。犬上川の渡河は広い板を渡すことから

始まり、最初の頃は木橋だったので、渦巻く激流に耐えられなかったのは当然の事であった。

木橋で手すりのない素朴なものの頃や、手すりがあっても中程に待避所を設けて、荷車の行き違いの出来る木橋の頃など、賭け替えのたびに改善されていったが、橋巾は依然として狭いものであった。時代が変遷し、交通量の増加からか、地元民の要望の成果からか、本格的なコンクリート橋が出現したのは漸く昭和六年のことである。さすがは県道に架かる橋だと、その竣工はは地元民にとって大変な喜びであった。

爾来昭和四十九年三月に至る四十三年間、県道大津野登川長浜線の頻繁な交通量をさばく要衝として、よくその任務を果たして来たのである。しかし頑丈な橋台を持っていたこの橋も、増水に

よる激流には抗し得ず、橋台の地盤沈下でしばしば橋面が損傷し修復が重ねられた。その老朽は甚だしく、さらにまた高度経済成長による経済発展が、交通量の飛躍的な激増をもたらして、この橋では到底将来の交通量を賄え状況になって来た。

そこで県では、新たに橋梁整備事業計画を樹て、昭和四十五年から新しい南青柳橋の建設が旧橋の東側で着手された。かくて四年の歳月をかけて進められた新橋の工事は、昭和四十九年四月に見事竣工されたのである。

この新南青柳橋の完成は、彦根市南部から中心部への交通の円滑化に大きな成果を果たすことはもちろん、モータリゼーション化が今後益々盛んになる過程の中で、地元開出今に輝かしい未来

を約束したとい言うべきである。

因みに昭和六年八月から昭和四十九年三月まで架かっていた古い橋の「親柱」は、菅原神社に移駐し、在りし日の華やかな姿を留めるために永久保存されている。

現在の南青柳橋

菅原神社内に移駐された古い橋の親柱